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介護施設の動きをチェック!

いまは恵比寿止まりの埼京線が北から南下してきて、いまは天王洲止まりのりんかい線が南から北上してきて、大崎でドッキングする。 ただ残念なことに、埼京線は池袋からずっと山手線に寄り添って走っているし、りんかい線の山手線に対する角度もかなり小さい。
だから、大崎は都庁所在地にふさわしい四方八方から人が集まる直角交差都市にはならずに、一癖ある斜め交差都市になる。 大井町駅はりんかい線と京浜東北線がほぼ直角に近い交差をするけど、やっぱり都庁所在地ということになると、ちょっと南に寄りすぎている。
相模大野は、もちろん神奈川県だから候補にならない。 というわけで、未完の直角交差駅の中で都庁所在地の有力候補は吉祥寺、二子玉川、調布に絞られてくる。
中でも吉祥寺と二子玉川は、井の頭線や大井町線の北への延伸で、街のスケールがさらに大きくなる可能性が高い。 吉祥寺の最大の強みは、もう説明したように地元商店街が大型店を積極的に受け入れて、激しい競争の中で生き抜く努力を続けていることだ。
こういう積極性のある商店街なら、吉祥寺止まりの井の頭線について大規模な北への延伸計画が持ち上がっても、客を取られることを心配するより、新しい客が入ってくることを歓迎するだろう。 どういう延伸にするのが効率的だろうか?中央線を突っ切って北上して、西武新宿線と武蔵関駅で交差し、西武池袋線と大泉学園駅で交差し、関越道と東京外環道との接点、大泉ジヤンクシヨンあたりを通って東武東上線和光市駅を終点とするルートがいいのではないだろうか。
この延伸と込みで、都庁もここへ移転するというのは、すごく自然な成り行きだ。 ただ、こういう路線を土地を買収して作ろうとしたら、用地費だけで天文学的な数字になってしまうだろう。

どうしたって地下を掘り進まざるをえない。 しかし、いままでの日本の土地所有制度では、たとえ地下でも道路のような公共の土地の下でなければ、使用料を払わなければならないという制約がばかにならなかった。
この井の頭線延伸計画だと、下を通すための適当な道路がないので、用地補償費や地下の使用料が大変だという難点があった。 いまは、大深度地下法が成立している。
だから、地表から四0メートル以上深い地下なら、だれにも用地補償費を払わず、地上の道がどう曲がりくねっていようと関係なく最短距離を掘り進むことができる。 ひとつ、現実的な問題がある。
それはいまの都庁に比べれば小さくなっているとしても、相当な人数の都庁職員を加収容する庁舎をどこに建てるのかということだ。 井の頭公園をつぶすのはもったいない。
駅前の再開発も、あれだけゴミゴミ大小取り混ぜた建物が並んでしまうと、用地取得交渉だけでも大変だろう。 それだけではない。
あの規模も建築様式もまったくてんでんばらばらの建物が、思い思いの方角に向かって自己主張をしていて、統一とか、秩序とかは屈とも思っていない景観は、そろそろ歴史遺産への登録を申請したくなるほど貴重だということだ。 ポストモダニズムの巨匠、R・コールハースが「ヘビーメタルをまとった熱帯雨林」(「篠原一男経由東京発東京論』篠原一男編、二年、鹿島出版会、ページ)と表現した東京的な混沌の神髄は、この吉祥寺の駅前風景にあるといっても過言ではない。
とすると、吉祥寺に移ることになる都庁の庁舎は、いったいぜんたいどこに建てればいいのか?ここはひとつ、思い切りのいいI都知事が在職中に大勇断を下して、四0メートル以上の大深度地下に地底の大宮殿をつくって、都庁職員にはそこで仕事をしてもらうというのはどせっかく大深度地下法が成立しても、人間は保守的な動物だから、だれかが試してみて安全だと納得するまでは、こういう、いままでだれも暮らしたことがないような環境加に住みつこうとはしないだろう。 だれかが開拓者精神を発揮して、身をもって安全性を証明してやるしかない。
誇り高き都庁職員のみなさんには、うってつけの使じゃないだろうか。 昼でも暗いなんてことは、心配しないでいい。
光ファイバーケーブルを使って、自然の太陽光を地底宮殿の隅々まで行き渡らせるのは難しいことじゃない。 それに、吉祥寺駅構内の真下につくった地底宮殿への大型高速エレベーターを設置すれば、雨が降っても濡れずに出勤できる。

どうせ近代的な大規模オフィスなら、二四時間高気密、高断熱、強制換気の人工的な環境にしなければならないのは同じことだ。 景色に気を取られずにすむところで仕事ができるから、かえって能率が上がるかもしれない。
なぜ、昔から中央線、南武線、青梅・五日市線が直角交差しているから、変化率という意味ではあまり大化けは期待できない立川を対抗にあげているかというと、都庁用地の確保という点では、立川は抜群に有利だからだ。 日本最古の飛行場だった立川飛行場を中心に、広大な米軍基地の跡地が、そっくりそのまま昭和記念公園として残されている。
どんな野心的な都市計画を立てたとしても、土地が足りなくて実施できないということはないだろう。 それに、遊園地のおもちゃの電車みたいなものだという先入観がある多摩モノレールも、立川を軸に南北方向に開通した。
初めのうちは、経営が成立するのか心配する人が多かったが、徐々に平日の昼間でも立川駅周辺に買い物に行く客が増えてきた。 おかげで、立川駅前は都下の商業地の中でたった一ヵ所だけ地価変動率がマイナスからプラスに転じた場所があるくらい、街としての活気は盛り上がっている。
一日八王子市や多摩市は、あまりにも人工的なニュータウンどの造成で自滅していった。 町田市は、二十数年前に行ったか移住人口受け入れ政策から締め出し政策への急転換で、山徐々にしかし確実に、封鎖都市型の老齢化の弊害が出てき圏た。
それに対して、立川はいままでのところ、余計なビツ古小ごうまん東グプロジェクトもやらず、移住者を締め出すような倣慢な政策も取ってこなかった。 だから、三多摩地区では立川のひとり勝ちというようなことがいわれはじめている。
ただ、本書で再三主張してきたように、「土地があるから大きなものを建てる」という発想で推進された都市計画が成したためしはない。 だから、土地があり余っていることは、たしかに有利な条件だけど、決定的な条件ではない。
むしろ、「せっかくこんなにいっぱい土地があるんだから、ひとつ理想の都市をつくってやろう」なんて大それたことをたくらんだりすれば、この利点はとたんにハンディに変わってしまう。 二子玉川の最大の幸運はまだ地元に商店街も育っていなかった一九六九年という早い時期に、玉川高島屋が日本でも最古に近い郊外型ショッピングセンターを開業してしまったことだ。
近隣商店街が圧力団体として育っていた後かみ町げとどろきだったら、後背地に上野毛、深沢、等々力、奥沢あたりの高級住宅地を抱えたおいしい立地だけに、とうていすんなりとは、大型店舗の開設なんて通らなかっただろう。 ちょうど同じころ、大阪の千里ニュータウンの真ん中にも、大きな郊外型ショッピングセンターが開業した。

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